COLUMN

産後クライシス
出産後に夫婦関係が揺らぐ現象を縦断研究と倦怠期診断の文脈で読み直す

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この記事の要点
  • 「産後クライシス」を病気や異常ではなく出産期の関係を観察する言葉として読み直す視点がわかります
  • 128組の縦断研究が示す4つの変化パターン(急減・直線減少・変化なし・微増)を集約しています
  • 役割変化・睡眠不足・期待値ギャップという構造的負荷を踏まえた、責めずに1日数分の対話時間を確保する現実的な手がかりが身につきます

夜中の授乳のあと、隣で眠る夫の背中を見ながら、「なんだか、遠くにいる人みたい」と感じた夜——赤ちゃんが生まれてしばらく経ったご夫婦のあいだで、しばしば訪れる感覚だったりします。悪気があるわけではなくて、ただお互い、今日もへとへとだった、それだけの日。

「赤ちゃんが生まれてから、ふたりの関係がどこか変わってしまった気がする」——出産を経た夫婦のなかで、そう感じる方は決して少なくありません。「産後クライシス」と呼ばれるこの現象は、近年メディアでもしばしば取り上げられるようになり、輪郭をもった言葉として社会に定着してきています。

本記事では、産後クライシスという言葉の命名経緯、心理学の縦断研究から見える関係変化の実態、そして倦怠期診断の文脈での読み直し方を、「必然」ではなく「観察対象」として、やわらかくご紹介していきます。

産後クライシスとは——言葉の輪郭と命名経緯

「産後クライシス」は、出産後から2〜3年ほどの間に、夫婦関係が悪化する現象を指す日本独自の用語です。この言葉は、2012年9月にNHKのテレビ番組『あさイチ』で「夫婦を壊す?!"産後クライシス"」というテーマの特集が放送されたことで、社会的に広がりました[1]。NHK報道局記者の内田明香氏と制作局ディレクターの坪井健人氏が、同番組の取材内容をもとに、2013年11月に同名の書籍として刊行しました。

この特集が大きな反響を呼んだ背景には、「赤ちゃんの誕生は無条件に喜ばしいもの」というイメージと、現実の夫婦関係の体感のあいだに、長く言葉にされてこなかったギャップがあったことがあります。「幸せな出産」を期待する社会のなかで、産後に夫婦の温度感が変わっていく感覚を抱えていた多くの方が、「自分たちだけではなかった」とこの言葉に出会うことになりました。

大事なのは、産後クライシスは「病気」や「異常事態」ではないという点です。むしろ、これから見ていくとおり、心理学の縦断研究のなかでは、出産後に関係質の変化を経験する夫婦は世界的にもよく観察されるパターンであり、関係を観察するための輪郭をもった言葉として捉えるのが、現実に近い読み方になります。

縦断研究から見える関係の変化パターン——Belsky & Rovine 1990

「自分たちだけがうまくいってないのかもしれない」——夜中にひとりで考え込んでしまう瞬間があるかもしれません。でも実は、産後の関係変化はご自身たちだけに起きていることではなくて、世界中で研究されてきたテーマなんですね。

産後の夫婦関係の変化は、日本だけの現象ではなく、欧米でも長く研究されてきたテーマです。なかでも、米国の発達心理学者ジェイ・ベルスキー(Jay Belsky)と マイケル・ロビン(Michael Rovine)が1990年に『Journal of Marriage and the Family』で発表した論文「Patterns of Marital Change Across the Transition to Parenthood」は、この分野の代表的な縦断研究の一つです[2]

この研究では、128組の夫婦を、妊娠最終期から産後3年までの長期にわたり追跡し、それぞれの夫婦の関係質がどのように変化していくかを調べました。その結果、関係の変化には4つの異なるパターンがあることが見えてきました。

  • 急激な減少(accelerating decline):時間の経過とともに、関係質の低下が加速していくパターン
  • 直線的な減少(linear decline):一定のペースで関係質が徐々に下がっていくパターン
  • 変化なし(no change):産前と同じくらいの関係質が保たれるパターン
  • 微増(modest positive increase):むしろ関係質がわずかに向上していくパターン

多くの夫婦は最初の2つのいずれか(減少パターン)を経験する傾向にありましたが、すべての夫婦が関係質の低下を経験するわけではないこと、そしてこれらの変化パターンは赤ちゃんが生まれる前から、ある程度予測可能であることが、この研究の重要な発見でした。産後クライシスは「赤ちゃんが生まれたから必然的に起きる」ものではなく、関係のなかにあらかじめ存在していた要素が、出産という大きな出来事を通じて顕在化してくる現象として捉えることができます。

なぜ産後に関係が揺らぐのか——3つの背景

「なんでこうなっちゃったんだろう」——原因をひとつに絞ろうとして、うまく言葉にできない夜があるかもしれません。産後クライシスが立ち上がってくる背景には、ふたりの関係を取り巻く、いくつかの大きな変化が重なっているんですね。

① 役割の急激な変化——「個人」から「親」へ

「今日、ふたりで話したのって、赤ちゃんのことだけだったな」——寝かしつけの後で、ふと気づく夜。悪いことではなくて、ただ、ふたりの時間の色調が変わっていく時期です。

出産は、ふたりが「夫婦」から「親」へと役割を拡張するライフイベントです。けれど、その役割の拡張は、しばしば「夫婦」としての時間を圧迫する方向にも働きます。ふたりだけで過ごす時間、互いを「ひとりの相手」として見つめる時間が、赤ちゃんのケアに置き換えられていくなかで、関係の温度感の維持に必要な「ふたりの時間」が、構造的に減りやすくなります。

② 睡眠不足・身体的負担の蓄積

「夜中に起きてから、次に目が覚めるまでの記憶がない日がある」——産後の数ヶ月、そんな感覚を抱えている方も少なくないかもしれません。責める気力すら残らない疲労が、静かに積み上がっていく時期です。

産後の数ヶ月から数年は、夫婦双方にとって身体的な負担が非常に大きい時期です。出産による母体の回復、夜間の授乳、寝かしつけ、生活リズムの大きな変化——これらが続くなかで、お互いに対する「やさしさ」「気づき」「対話の余裕」を保つことが、構造的に難しくなります。これは個人の努力不足ではなく、環境からのストレッサーが質量ともに増している状態と捉えるのが現実に近い読み方になります[3]

③ 期待値とのギャップ——「思っていた育児」とのずれ

「もっと一緒に子育てできると思ってたのに」——ふと胸の奥をよぎる感覚があるかもしれません。彼(彼女)が悪いわけではなくて、ただ、事前に描いていた景色と、実際の景色がずれていた時期。

多くの場合、出産前に描いていた「育児の分担」「親としての姿」「ふたりの暮らし」のイメージは、実際の現実とはずれを含んでいます。「これくらいやってくれるはず」「これくらい余裕があるはず」という期待値と、現実のずれが積み重なるなかで、相手への失望感や不満が、関係のなかに少しずつ沈殿していきます。これは、事前の話し合いやイメージのすり合わせが完全には行えていなかったことの自然な帰結でもあります。

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「産後クライシスは予防可能か」——可塑性のある時期として読む

Belsky & Rovine の研究が示した「4つの変化パターン」のうち、「変化なし」「微増」を経験した夫婦が一定割合存在したという事実は、産後クライシスを考えるうえで重要な意味を持ちます。すべての夫婦が同じように関係質の低下を経験するわけではない——この事実は、産後の関係変化が「必然」ではなく、ある種の可塑性のある時期であることを示しています。

もちろん、これは「努力すれば防げる」という意味ではありません。「変化なし」「微増」のパターンを経験した夫婦には、たまたまその時期にストレッサーが少なかった、サポートネットワークが手厚かった、産前から関係質が安定していた——といった様々な要因が重なっていたと考えられます。けれど、「産後クライシスは絶対に起きる」と諦めるのではなく、「起きやすい時期だからこそ、観察と手当てが意味を持つ時期」と読み直すことは、関係の見え方を少し変えてくれます。

具体的には、(1)産前に「育児・暮らし・関係」の3軸でお互いの期待値をすり合わせておく/(2)産後の早い段階で、ふたりだけの「対話の時間」を意識的に確保する/(3)身近なサポート(家族・友人・専門家)に頼ることへの抵抗感を下げておく——といった、小さな備えが、変化パターンの行方に少しずつ影響していきます。

倦怠期診断の文脈で読み直す産後クライシス

本サイトの倦怠期診断は、関係の温度感を4つのタイプの輪郭で描くツールです。産後クライシスを経験している/経験した夫婦のなかには、冷却型(タイプA)並走型(タイプC)の温度感に近い状態を抱えている方が、しばしば見られます。「家庭運営は機能している、けれど感情の交流は薄い」という並走型の輪郭は、産後の役割固定化が長期化したときに自然と立ち上がってくる構造でもあります。

大事なのは、産後クライシスを「乗り越えるべき試練」と捉えるよりも、関係の温度感を観察し続けるための一つの時期として読むことです。長期的な関係の質を支える要素として研究で繰り返し挙げられているのは、産後に限らず、日常的な対話・互いへの関心の維持・小さな共有の時間の積み重ねです。産後の数年間は、その積み重ねが構造的に途切れやすい時期だからこそ、意識的に観察の地図を持っておく価値が大きいと言えます。

関連する視点として、当サイトの夫婦の会話夫婦の寝室夫婦カウンセリングのコラムも、産後の時期の関係を観察するうえで参考にしていただけます。

ふたりの関係に取り入れるなら

産後クライシスの話題を、ご自身の関係のなかに取り入れるとき、まずおすすめしたいのは、「いまの関係の温度感は、自分たちの努力不足のせいではなく、産後という構造的に大変な時期の自然な現れの一部かもしれない」と、ご自身を責めない前提に立つことです。Belsky & Rovine の研究が示すとおり、関係質の変化は環境要因と事前の関係質の組み合わせで起こるもので、産後の数年間で「以前と違う」と感じることは、決して特別なことではありません。

そのうえで、ふたりだけの短い対話の時間を、意識的に確保してみてください。1日のうちの数分でも、互いに「今日感じたこと」を話せる時間があれば、それは関係の温度感を保つ小さな土台になります。もし、その時間さえ確保が難しい状況なら、専門家(夫婦カウンセラー・産後ケア窓口・公的相談機関)に話を聴いてもらうことも、ふたりが長く担ってきたものを少し下ろせる場所になります[4]。本サイトの20問のセルフチェックは、その「観察の地図」のひとつとして、関係の温度感をやわらかく描き出すツールです。産後クライシスの地図と、関係の温度の地図——ふたつの地図を重ねながら、ご自身とふたりの関係を、いつもより少しやわらかく見つめ直していただけたらと思います。

参考文献・出典

  1. 内田明香・坪井健人 (2013). 産後クライシス. 東京: ポプラ新書. (※2012年9月のNHK『あさイチ』特集が原点)
  2. Belsky, J., & Rovine, M. (1990). Patterns of marital change across the transition to parenthood: Pregnancy to three years postpartum. Journal of Marriage and the Family, 52(1), 5-19. JSTOR
  3. Karney, B. R., & Bradbury, T. N. (1995). The longitudinal course of marital quality and stability: A review of theory, method, and research. Psychological Bulletin, 118(1), 3-34. PubMed
  4. Johnson, S. M. (2008). Hold Me Tight: Seven Conversations for a Lifetime of Love. New York: Little, Brown and Company.

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