愛するということ
フロムが説いた「愛は技術である」を倦怠期に重ねて読む
- 「愛は感情ではなく技術である」という視点で、倦怠期を読み直せます
- 愛を支える4つの要素(配慮・責任・尊重・知)を、関係の点検指標として観察する視点が身につきます
- 「愛されたい」から「何を与えられるか」への能動性シフトを、今日の小さな動作から練習する手がかりを集約しています
「愛が冷めたのかもしれない」——倦怠期と呼ばれる時期に、ふとそんな言葉が頭をよぎることはありませんか。けれど、その「冷めた」と感じる感覚は、本当に愛そのものが減ってしまったから生まれているのでしょうか。それとも、愛するという技術が、少しずつ摩耗してきているサインとして読むことができるのでしょうか。
本記事では、20世紀を代表する心理学者・社会哲学者のエーリッヒ・フロム(Erich Fromm)が著した古典『愛するということ』(原題 The Art of Loving)を、倦怠期の文脈に重ねて読み直していきます。フロムの「愛は技術である」というテーゼと、愛を支える4つの能動的要素を、ご自身の関係をやわらかく観察するための地図としてご紹介します。
『愛するということ』とは——フロムが書いた愛の小さな古典
本棚の奥に、いつか読もうと思って買ったままの薄い一冊が眠っていたりします。付き合いはじめの頃はもう少し胸に響いていた言葉が、いまは少し重たく感じる——そんな距離感が、この本と自分のあいだにあったりします。
『愛するということ』は、1956年に米国で出版された一冊の小著です[1]。著者のエーリッヒ・フロム(1900–1980)は、ドイツ生まれの社会心理学者・精神分析家・社会哲学者で、ナチス政権成立後にアメリカに亡命し、戦後は人間性心理学と社会批評の橋渡しをした人物として知られています。
本書は世界中で広く読まれた愛の古典で、日本語訳は1991年に紀伊國屋書店より新訳版が刊行され、現在もロングセラーとして読み継がれています[2]。タイトルは「愛すること」を名詞ではなく、動詞のかたちで受け取り直すことを促しています。
本書の核となるメッセージは、ひとつのとてもシンプルな主張です。「愛は感情ではなく、技術である」——フロムはそう書きます。愛が技術であるならば、それは学べるものであり、練習を必要とするものであり、上手にも下手にもなるものでもあります。「自然と湧き上がってくる気持ち」というよりも、「育てていく営み」として愛を捉え直すことが、本書のすべての出発点になっています。
「fall in love」と「stand in love」——倦怠期の輪郭を映す対比
付き合いはじめの頃の写真をふと見返すと、「あのときは、こんなに笑ってたんだな」と思う瞬間があります。笑顔が減ったわけではなくて、笑いの種類が変わっただけなのかもしれない——そんなふうにも思えたりします。
フロムが本書のなかで繰り返し示すのは、2つの愛の姿の違いです。ひとつは「fall in love(恋に落ちる)」と呼ばれる、関係のはじめに訪れる強い惹かれ合いの状態。もうひとつは「stand in love(愛しつづける)」と呼ばれる、関係のなかで愛を継続的に営んでいく状態です。
「fall in love」は、特別な技術を必要としません。お互いに新しい存在として出会い、相手を発見していくこと自体が、強い快感と発見の連続を生み出してくれる時期だからです。けれど、その時期はやがて落ち着いていきます。お互いを「知ってしまった」と感じる場面が増え、新しい発見の頻度は次第に減っていく——これは関係の劣化ではなく、関係の自然な成熟プロセスとして、フロムは描きます。
問題は、その「fall in love」のあとに来る「stand in love」が、まったく別の技術を必要とすることです。受動的に「落ちる」のとは違い、能動的に「立ちつづける」愛は、毎日の小さな選択と、絶え間ない注意のもとでしか維持できません。倦怠期と呼ばれる時期は、まさにこの「stand in love」の技術がご自身のなかで問われはじめる場面として捉えることができます。
愛を支える4つの能動的要素——倦怠期の点検指標として
「愛が冷めた」の一言で片づけるより、もう少し細かい単位に分けてみたい——そう感じることは、ないでしょうか。全部が同時に消えるわけではなくて、いくつかの技術のうち、たぶんいまはひとつかふたつが休んでいるだけ、なのかもしれません。
フロムは『愛するということ』のなかで、愛が能動的活動であるならばどのような要素から成り立っているのかを、4つの要素に分けて整理しています。配慮(care)/責任(responsibility)/尊重(respect)/知(knowledge)の4つです。これらは、倦怠期にあるご関係を観察するための、とても実用的な点検指標としても読むことができます。
配慮(care)——相手の成長や幸福を能動的に気にかける
「配慮」は、相手の成長や幸福を、自分から能動的に気にかけることです。フロムは「愛とは、愛するものの命と成長を、能動的に気にかけることである」と書きます。ここで大事なのは、「気にかけている」と思っているだけでは足りないということです。配慮は、相手の体調や気分、抱えているものに、自分から目を向ける小さな動作の積み重ねとして、関係のなかに現れます。
倦怠期のなかでは、配慮の「自動化」が起こりがちです。「いつもの相手」になってしまったぶん、相手の体調の変化や気分の揺れに、視線が向かわなくなる——これは関係が壊れているのではなく、配慮の技術が一時的に休んでいるサインとして読み解くことができます。
責任(responsibility)——相手の必要に応える自発的な姿勢
「責任」というと、義務や負担のような硬い言葉に聞こえるかもしれません。けれどフロムが言う責任は、英語の responsibility がもともと response(応答) という語を含むように、相手の必要に「応えていく」自発的な姿勢のことです。義務として渋々応えるのではなく、相手が何を求めているかに気づき、それに応えたいと自然に思える感覚——その積み重ねが、関係を支える土台になっていきます。
倦怠期に「相手の話を聞くのがしんどい」と感じる場面が出てきたら、責任の技術が摩耗している兆候として、ご自身を裁かずに受け止めてみてください。応答の力は、休めば回復する性質のものでもあります。
尊重(respect)——相手をありのままに見る
「尊重」は、相手を自分の所有物のように扱うのではなく、独立した一人の人間として、ありのままに見ることです。フロムは「尊重とは、相手が相手として成長していくことを願う姿勢」と書きます。ここには、「自分のために変わってほしい」という願いの逆方向の感覚があります。相手が相手のままで在ることを、こちらが妨げないこと——それが尊重の核です。
倦怠期のなかでは、「もっとこうしてほしい」「なんで変わってくれないのか」という思いが強く出やすくなります。それは関係への期待が大きいぶん、自然な感情でもあります。ただ、そこにとどまり続けると、尊重の感覚は少しずつ目減りしていきます。「相手は相手のまま」と一度受け止め直すことが、技術の再起動につながります。
知(knowledge)——相手の表層ではなく深部を理解しようとする
「知」は、相手の表に見えている言葉や態度ではなく、その下に流れている感情や、本当の願いを理解しようとする姿勢です。フロムは、相手を「知る」ことなしに尊重や責任や配慮は成り立たないと書きます。なぜなら、相手を知らなければ、何を気にかけ、何に応え、何を尊重すればよいかが分からないからです。
倦怠期は、「もう分かっているはず」という思い込みが、知の技術を眠らせやすい時期でもあります。「あの人はこういう人」と固定化された相手像に頼り続けると、目の前の相手の今の気持ちを、改めて聞きにいく動作が起こりにくくなります。「分かっているつもり」を一度脇に置く時間が、関係に新しい風を呼び込むことがあります。
ご自身の関係が、いまどんな温度感にあるかを
20問のセルフチェックで見つめ直してみませんか?
愛は対象の問題ではなく、能力の問題——フロムの中心的主張
「別の人だったら、うまくいったのかな」——夜、ふとそんな考えがよぎることがあります。責めているわけではなく、ただ、疲れているだけなのかもしれない。でも、その問い自体が、フロムが投げかけたかったものと少しずれていたりします。
『愛するということ』の中でも、もっとも印象的な主張のひとつが、「愛は対象の問題ではなく、能力の問題である」というテーゼです。多くの人は、愛がうまくいかないときに「自分の相手が悪かった」「もっと合う人がいるはず」と、対象の側に原因を求めようとします。けれどフロムは、それは問いの立て方そのものが間違っているのだ、と言います。
愛するということは、特定の誰かに対する強い感情ではなく、自分のなかにある「愛するという能力」をどう育てるかの問題である——というのが、本書の根本にあるメッセージです。能力であるならば、それは練習で育てられるものであり、磨かなければ錆びていくものでもあります。倦怠期に「相手のせいで」と感じる気持ちは自然なものですが、その隣に「自分の愛するという能力は、いま、どんな状態にあるだろうか」という問いをそっと置いてみることが、関係への新しい視点を呼び込みます。
5つの愛の姿——フロムが描いた愛の地図
相手のことばかり考えていた結果、自分の体調をないがしろにしていた——そんな時期があったりします。悪気なく、頑張って、それでも、なぜか疲れが取れない、そんな感覚です。
『愛するということ』では、愛を5つの姿に分けて描いています。兄弟愛(隣人愛)/母性愛/性愛/自己愛/神への愛の5つです。それぞれが独立して語られながらも、フロムは「これらの愛の姿は、根本においては同じ能動的な営みの異なる現れである」と整理しています。
倦怠期の文脈で特に深く関わるのは、性愛(夫婦・パートナー間の親密な愛)と、自己愛のふたつです。フロムは「他者を愛するためには、まず自分自身を愛していなければならない」と書きます。ここで言う自己愛は、利己主義(self-ishness)とは違い、ご自身を一人の存在として尊重し、配慮し、知ろうとする姿勢のことです。
倦怠期のなかで、相手への愛がうまく回らなくなっているとき、その背景に、ご自身への愛——ご自身の体や気持ちや必要への配慮——が少し痩せていることがあります。「自分を大切にする」という言葉は使い古された印象がありますが、フロムの文脈で読み直すと、それは愛するという能力を回復させるための、もっとも基礎的な土台でもあります。
「愛されたい」より「愛する」へ——能動性のシフト
「もっと分かってほしい」と思うほど、なぜか胸が細くなっていく気がすることがあります。求めていることは間違っていないはずなのに、そこに立ち止まり続けるのが少ししんどい、そんな感覚だったりします。
本書のもうひとつの大きなメッセージは、「愛されることを求めるあいだは、愛する力は育たない」というものです。私たちは多くの場合、「もっと愛されたい」「もっと分かってほしい」というかたちで、愛を受け身で求めようとします。けれどフロムは、その姿勢のままでは、愛するという技術はいつまでも始まらない、と書きます。
能動性のシフト——それは、「相手から何を受け取れるか」を考える時間を少し減らして、「自分は何を与えられるか」を考える時間を少し増やすことです。ここで言う「与える」は、自己犠牲ではありません。むしろ、ご自身のなかに豊かにあるものを、相手と分かち合う喜びとして、フロムは描きます。倦怠期のなかでも、ご自身の小さな観察や気づきを、相手と共有してみる場面が増えることで、愛するという能力は少しずつ目覚めていくことがあります。
倦怠期診断の文脈で読み直す『愛するということ』
大きなプロジェクトのように「明日から全部やり直す」と決意すると、たいてい三日目でくじけたりします。技術は、そこまで頑張らなくても、明日の朝ごはんの前の1秒に一つだけ、で十分だったりします。
倦怠期は、フロムの言う「stand in love」の技術が、ご自身のなかでも、相手のなかでも、少し休んでいる時期として捉え直すことができます。それは関係の終わりのサインではなく、関係のなかにある技術を、もう一度練習しはじめる合図として読むこともできます。
4つの要素(配慮/責任/尊重/知)のうち、ご自身のなかで「いま、どれが一番眠っているだろう」と問いを置いてみてください。すべてを一度に取り戻そうとする必要はありません。ひとつだけ選んで、今日の小さな動作のなかに、少し練習を取り入れてみる——たとえば、相手が話しているときに、スマホを置いて顔を上げる(責任)。相手の予定や体調を、ふと聞いてみる(配慮)。「もっとこうあってほしい」を一度心の中で手放してみる(尊重)。「もう知っているつもり」を脇に置いて、ひとつ質問を投げかけてみる(知)。
こうした小さな練習が、関係のなかに新しい風を呼び込むかどうかは、すぐには分かりません。フロムも、愛するという技術は、長い時間をかけて育つものだと書いています。ただ、「ふたりの関係を変えるには相手が変わらなければ」と感じている時間より、ご自身の小さな動作にひとつ手を加えてみる時間のほうが、関係のなかに能動性を呼び戻す余地を残します。長く続く関係の質を整える視点としては、ゴットマンの「4つの毒」やアタッチメント理論と恋愛もあわせてご覧頂けます。
ふたりの関係に取り入れるなら
本を閉じて、洗いものを続ける。何も変わっていないように見える台所のなかで、実は、ひとつだけ小さな視点が入れ替わっていたりします。それだけで、明日の「おはよう」の重さが、少しだけ変わっていることもあります。
『愛するということ』が示すのは、愛は特別な才能ではなく、誰もが練習して育てられる技術であるという視点です。倦怠期のなかでも、その視点は、ご自身を責めない方向に背中を押してくれます。「愛が冷めた」のではなく、「愛するという技術が、いま少し休んでいる」——そう捉え直すことが、関係に新しい余白を呼び込みます。
もし、関係のなかで安心感が大きく揺らいでいたり、ご自身の心がすでに長く疲弊しているように感じる場合は、信頼できる場所(公的な相談窓口・心理カウンセラー・夫婦療法の専門家など)に話を聴いてもらうことも、ひとつの選択肢として大切にしてください。第三者の応答性のある眼差しが、ご自身の「愛するという能力」を再び動かしはじめるきっかけになることもあります。
本サイトの20問のセルフチェックは、ご自身の愛する力を採点するためのものではなく、いまの関係の温度感を4つのタイプの輪郭でやわらかく描くためのものです。フロムの4つの要素の地図と、関係の温度の地図——ふたつの地図を重ねて、ご自身とふたりの関係を、いつもより少しやわらかく観察していただけたらと思います。